網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患したときの覚え書き。

都内での飲食

むかし暮らしていた町で仲の良かった友人からメール。

仕事で上京するのでよかったらごはんでもご一緒しませんか、
お勧めのお店に連れていってくださいよーと。
 
あー、こういうときに人を欺いてる気分になる。
向こうは、わたしが都内各所の美味しいお店を食べ慣れていること前提で色々尋ねてくるけど
 
わたし、お料理大好きだから
殆ど外食しないのですわ。
 
で、どうせ外で食べるなら絶対自分で作れなさそうなもの、となると
エジプト料理とかミャンマー料理とかだしなー
 
ごめんよコヤマくん(仮名)、
君の期待するようなきらびやかなお店にはお連れできそうにないですよ。
 
今日も必死に食べログでお店の検索・・・。
 
 
 
 
 
 

たまには毒

今日はお仕事でとても残念なことがありました。

ひとことで言うと、治療の説得の失敗。


患者さんのためを思って、一生懸命仕事しているつもりだけれども

どんなに頑張っても、誠意が伝わらないことってあるんだなー。


いまの治療はベストじゃない、違うアプローチが必要だと繰り返し伝えているのに

受け入れようとしてくれない患者さん。


私も、「患者」の立場を嫌という程味わっているから

あなたの気持ちは、わからなくはない。


自分の病気を認めることや

それによって失うもの

直視するのはやっぱり、めちゃくちゃ怖いです。


でも、受け入れなくてはそこから先に進まない。


絶対に受け入れてほしくて

手遅れになってほしくなくて

病状が深刻なんだってことを強く伝えすぎたら

患者さんに怒られてしまった。


もどかしさを感じた。

現実に向き合えない患者さんにも、

最適な治療にうまく導けない自分にも。

まだまだまだ、日々修行です。


弱音吐いてるようだけど弱ってはおりませぬ。

筋書き通りに行かないのは臨床の難しさだけど面白さでもあるからね。




亀田大毅選手、網膜剥離で引退

お題「ブログ名・ハンドル名の由来」

これはもう、そのまんま。

網膜剥離になった自分と向き合うためのブログなので

その旨タイトルにしました。

(最初は「網膜剥離闘病記」でしたが、なんかニュアンス違うなーと思って

 ほどなく改題したという経緯がございます。)

ハンドル名も、「網膜剥離の英語名+発病年」です。

 

いやー、なんのひねりもないのですが、

このハンドルって呼びかけにくいですよね。綴りおぼえにくいし。

「網膜はげ子」はどうだろうと家族に伝えたところ

全力で阻止されました・・・。

もう少しよき名前を思いついたあかつきには、華麗に改名いたします。

 

さてさて。

先ほどからニュースをにぎわしている、亀田大毅選手の引退のニュース。

あ、私と同じ病気!!と、いきなり沸き起こる親近感。

 

引退の理由、「網膜剥離で視力が0.1まで戻らなかったから」と書いてある。

おなじ病を患った身として、頷ける部分もあれば、そうでもない部分もある。

 

視力云々よりも、きっと亀田選手は

闘う気持ち、前に進んでいく気持ちが

病気をきっかけにポッキリ折れてしまったんだろうと(勝手に)思っている。

 

私はボクサーほどの強靭な肉体を求められるわけではなく

スポーツ選手みたいに戦闘態勢を保ち続ける必要もないけれども、

「日々プロフェッショナルとしてそこに居続ける」ことが求められる立場ではある。

病気になると、平穏な日常が奪われる。

ただただ居続けるってこと、ただそれさえも、しんどくなることもある。

 

発症してから数か月の間は「もう診療所閉めようかな」っていう思いが

毎日毎日頭の片隅から離れなかった。

自分の健康もあやういときに、人様のケアをいままでと同じ気持ちでは

正直、できなかったから。

あの時期、仕事の質はかなり落ちていたと思うし、

そんな自分にまた落ち込んだりもしていたなー。

 

私は幸い、色々な偶然も幸運も重なって

今は「また前に進んでいこう」と思えているのですが。

 

願わくば、再再発のおこらないように。

そして再生医療が進んで、失った光、弱くなった光も取り戻せるようになることを。

 

Rest in peace,grandpa

秋晴れの穏やかな日。

祖父がその長い生涯を終えて、天に召されました。


商売を立ち上げて一代で財をなし、

よく働きよく遊びよく飲んで、

自分で予言していたぴったりの年齢まで生きた祖父。


亡くなる前1年半は入退院を繰り返して身体も苦しかったと思う。

それでも、私が顔を見せるとニコニコ嬉しそうに出迎えてくれた。


私も医師になって十数年、

おそらく「死」というものにはそれなりに冷静に客観的な視線を持っていたし

医療者が家族に説明するときは最悪の事態を想定して厳しめに言うこともわかっていたし


でも、こんなに早いと思わなかったな。


じいちゃんは、私の中では豪放磊落で気が強くて行動力の溢れる強い人で、

甘えさせてもらったとか格別可愛がってもらったなんて認識はなかったけれど、

亡くなる直前、せん妄状態になってた時、

私の名前をたくさん、呼んでいたらしいです。


五人の孫たちの中で、事業主になったのは私ひとり。


じいちゃんの酒豪DNAは全く受け継げなかったけれど、

商人魂は少し貰っていたのかな?


旅立った日も、葬儀の日も

たまたま、本当にたまたま休診日で

ゆっくり見送ることができたし


そもそも眼がよくなっていない時期だったら遠出もできなかっただろうし


じいちゃん、何気に私のことを慮って旅立つ日を慎重に選んでくれたのか!?


なんて、勝手ながら考えた次第。


じいちゃん。

安らかにお眠りください。


そしてお空の上から、ずっとずっと私達を見守っていてください。




闘病ブログ

数年前から、仕事上の必要に迫られて

いわゆる闘病ブログを読むことが増えていました。

 

普段の診療所での仕事に加え、

企業の中に入って社員さんの健康管理を行う、

産業医としての仕事を並行して行うようになったからです。

 

臨床医として、

患者さんが病気によって受けるハンディキャップのこと、

それを克服するためのケアの仕方、

そういうものは一通りもちろん知識として頭に入ってはいたけれど

 

専門分野以外の病気については、

正直学生さんレベルの知識に毛の生えた程度のものしかもっていない。

 

たとえば、

 

お薬の副作用でこんなに苦しむ人がいる、

でもこんな風に対策を講じている

 

慢性疾患と向き合う人たちが

日常生活でこれだけの制約を受けている

 

治療法の確立されていない疾患の患者さんが

これだけ新薬を心待ちにしている

 

そういう、診察の場面で扱いきれないナマの声、心の叫びを知りたかったのです。

医療機関で接する「患者さん」とお話するときと違って、

産業医の仕事でお話をしなくてはいけない「社員さん」に対しては

病気の治療の話だけしていればよいというわけではなく、

人間としての営みの部分、生活や業務に及ぼす影響を熟知していないと

まともな面談が成り立たない。

 

こうして、

がん闘病ブログや

もちろん網膜剥離の闘病ブログ

糖尿病、膠原病などの闘病ブログ などなど

たくさんのブログを巡回し、

患者さんの思い、願いをできるだけ知ることで

的確なアドバイスにつなげていこう、そんな思いがありました。

 

まさか、数年後に自分が「病の当事者」として闘病ブログを読み漁ったり

こうして自ら発信する立場になろうとは、思いもしなかったのですが・・・。

 

私がだらだらと垂れ流している駄文が、

なんらかの形で、いつか誰かの役に立つといいな。

 

少しずつ取り戻す日常

何ヶ月ぶりかに、ハイヒールを履いて街に出た。


メガネをしていない自分の顔をまじまじと眺めるのも久しぶりのこと。

アイメイクしたのも何週間ぶりだろう。


なにせ視力の落ちている間は、段差やひとの流れがこわくて

転倒→外傷→再剥離の間抜けなカスケードに陥らないためにも

外出時は、デイパックに杖が必携、靴だってスニーカーか、よくてペタンコのパンプス。


もともとお洒落がすきなほうではないけれど、

さすがに女性としてこれがデフォルトになるのは辛すぎる。

まだ若いのにー(いや、そうでもないけど)

私にはもうスカート履くこともお着物着ることも許されないのか!!


そんな風に、ぐるぐると悲観的思考を巡らせていた日々が懐かしい。


人間の回復力って、ホントに凄い。

今は、極端に疲労困憊しているときや雨の夜以外は、杖はいらなくなった。

デイパックではない普通のかばんを肩にひっかけて、軽快にスタスタと…いや、ドタドタと歩けている。


ちなみに、今日の私が気合いいれて出かけた先は、時計屋さん。


研修医の頃、仕事が辛くて辛くて辛くて辛くて本当に辛くて倒れそうだったころ、

判断力鈍ったアタマで衝動買いした某スイス時計。

オーバーホールをお願いしにいったのです。


今の零細開業医である私めには、数万円のメンテナンス費用は正直分不相応なのだけれど、

病める時も健やかなる時もずっと私の傍にいてくれた大事な相棒なので、やっぱり無理をしてでも労ってあげたいのです。

私が死んだら柩に入れて欲しいくらいな時計だもの。


デザインがツボすぎて、相当無理して買ったのだけれど、

あれから10年以上たっても未だこの子を超えるお気に入りの腕時計には出会えていないので、

買ってよかったなーと。


そんな大事な相棒を送り出すので(オーバーホールは1カ月以上かかる)、

しゃんとした装いでいかなくては。

(それに、変な格好だと時計屋さんにも失礼だしね)


半分見栄もあるけれど、

こうやって見栄をはれるくらいに元気になったことに感謝。


サザエさん

秋も深まりつつある今日この頃。

日の落ちるのも早くなり、帰り道にはジャケットの襟を立てたく…あれ…ジャケット着てくるの忘れたな今日。


もともと、脳に異常があるんじゃないかと思うくらい忘れ物なくし物の名人でしたが

片眼の視力がガクンと低下している今、

不注意に拍車がかかっている気がするよ。


ふーやれやれ


冷や汗拭こうとカバンをあけたら、そこには何故かパスポートと海外通貨入りの財布が鎮座しておわす。←多分間違ってるなこの使い方


今日も愉快な一日になりそうだ!