網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患したときの覚え書き。

さようなら2015年

今年も残すところあと20時間弱。

わたしにとって2015年は、きっと一生忘れられない特別な年。


網膜が剥がれて視野が突然欠けたあの日から

平穏な生活は一変した。


正直、事業を畳もうかという思いが頭をよぎった回数も両手両足では数え切れない。


でも、本当の本当のギリギリのところまで悩み抜いた結果

「続ける」いう選択ができた。


苦しい状況を共有しながら、時には優しく時には厳しく

いつでも変わることなく寄り添ってくれた家族やスタッフ。

御自身もヘビーな状況を抱えているというのに

我が身のことのように私を案じてくれた患者さん達。


ベタすぎるけれども

人と人は支えあいながら生きているのだと改めて感じた。


そもそも、医者なんて、特に開業医なんて

患者さんが集まってきてくれなければ本当にただの人だ、ともつくづく思う。


いやでも業務が鬼のようにふってくる勤務医と違い、

求められてなんぼの世界。


療養中の、暗い暗いトンネルの中にいた日々は

「求められる」ことが辛くて辛くてたまらなかった。

誰にも会いたくない日があった。

健康なふり、元気なふりをせねばならない毎日がこれからずっと続くかと思うと逃げ出したくなった。


それでも。

時が、医療が、支えてくれる人たちが全てを解決してくれた。

あの苦悩の日々はもはや笑い話。

「ふり」をしなくても

私はもう十二分に健康だし、元気になれた。


人は変われる。

回復できる。

今は心からそう思う。


「病は気から」という言葉、厳しいニュアンスを内包するのであまり好きではないけれど


「ネガティブな思考は人を追い詰める」のは事実だなと。


苦悩は2015年に全て置き去りにして

あたらしい一年はよりアクティブに。


視野を広げて積極的に、仕事にも遊びにも勢いよく取り組みたい。


この年末はちょっと宴席を張り切りすぎて

さすがに驚異の消化機能を誇る私めも胃薬が手放せない日々。


つくしAM酸、ムコスタ、マックターゼ、セレキノンガスタータケプロン、ネキシウムなどなど

様々な消化器薬のお世話になってきたが

自分が一番頼りにしてるのは六君子湯

とはいえ、予防に勝る治療は無しなので最重要課題は食べすぎないこと。

食生活に関してだけは、少しだけ控えめに生きて行こう。


さようなら2015

ありがとう2015!





新たな病変

この年の瀬に、大変ショッキングなことに気付いてしまいました…

わたくし、網膜だけでなく結膜にも異常をきたしている模様。

左眼の白眼の部分にぴょっこりと小豆大の膨らみが!
そして周辺に小さな出血が!!

ちょうど上眼瞼で隠れている部分なので、いつからそこに在ったのかは定かではございませんが。

スタッフに「先生、今日ちょっと目が赤いですよー気をつけてくださいねー」と指摘され
言われてみれば確かに…と思い鏡を見つめてみたところ

そこには見慣れぬ風景が。

一瞬、また入院なの?またオペなの?と血の気が引きましたが
結膜の疾患はそういやさほど緊急性高くもなかったな、と気を取り直して
十何年ぶりに穴があくほど読み返してる眼科の教科書に手を伸ばし

あ、たぶん結膜嚢腫だ。

と自己診断。

(こういうとき、医者でよかったなーとつくづく思う。
あとは年末のスーパーハードスケジュールの日々の中で動悸が頻繁に起こっていても
うんうん、これは交感神経の刺激症状だね、失神も息切れもないし緊急性ないよね、とジャッジできたりとか。)

そんなわけで、ドギマギしながらも悪いものではなさそうなので
このぶっくりと共に年を越すことになりそうです。
破裂しちゃいやよ。

ダイエット宣言

1回目の手術のあと、経過がかなり順調で視力の戻りもよかったので

術後一か月目くらいでかなり調子に乗って動き回っていたら

二か月少々で再発の憂き目にあった。

 

2回目の手術を終えてからは

とにかく安静を心がけていたし

気持ち的にもあまり楽しむことができなくて

(今思うと、ほんのり抑うつ状態だった気がする)

 

大好きだった旅行も自粛、スポーツも自粛、人に会うのも最低限。

 

それで自宅でひたすら安静にしていたら

 

はい、予想通り

 

肥えました!!!

 

スポーツも再開したいのですが、多分お肉が付きすぎてウェアが入らないw

10キロくらい増えたかと感じるほどのブヨり具合で体重計のるのも怖くて

でも、メンタル的に長い暗いトンネルからは抜け出た感がやっと出てきたので

意を決して乗ってみたら

3キロほどの増加でした・・・

良かったような悪かったような。

 

年末で色々ドタバタしてますが、週1のジム通いとランニングは死守して

今年度中には元の体重に戻す!

 

ここに宣言しておきます。そうしないとサボるからね

開業医はつらいよ

年末なので、診察室に蓄積した書類の整理整頓に励んでいたら

入院中に使っていたノートが出てきた。


連絡調整をしたり、患者さんに電話で病状確認したり、書類をかいたりと

入院患者なのに、はたらき過ぎ…


忘れていた古傷が、ちくりちくりと痛む。


よくも悪くも、かわりのきかない私の仕事。

オペ室入る直前まで働いてたし

翌日からも休む間なんてなくて


ゆっくりと「病む」こともできなかった。


それは落ち込まなくて済むという意味では幸運だったのかもしれないけれど

いったい私はいつまで走り続けなくてはいけないのか?と怖くなったのもまた事実で。


これから先の働き方を、また見つめなおさなくては…とも感じている。



先生、ありがとう

青天の霹靂とは、まさにこのこと。

先日の定期健診で主治医の口からまさかの爆弾発言。


「ぼく、転勤することになりました。」


!!!!!

きたー!

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!


↑いや、真面目にこの顔文字が頭の中にスクロールしましたわ。


しかし、全く予想もしていないタイミングだったのでアホの子みたいに口あけてぽかーんとたたずむしかなかった私。


人間、驚きすぎるとリアクションとれなくなるものだね。


その場では「あら、そうなんですね」と淡々と振舞って

努めて事務的に次の予約とってもらったりしたけれど


病院を出た途端、涙涙涙。

こんなに泣けるもんかと思うくらい。


私がどんなに不安な気持ちに負けそうになっても耐えてこられたのは

再発してもきっと先生が治してくれると信じていられたから。


医師の世界の宿命は私もわかっちゃいるけど


あまりにも突然すぎるよ先生…


もう暫く、感傷に浸りながらキモイ感謝の手紙を書こうと思う。







経過写真を見て欲しいのに

手術のあと完全にお岩さんだった患側の上まぶたも

今ではすっかり元通り。


あんなに腫れてたのに!!


すごいな人間の治癒力。


手術当日より寧ろ

翌日とか翌々日にどんどん腫れてきて

しまいには切開した結膜が治癒の過程で思いの外増殖して

黒目のふちを覆って瞳の形はいびつになるし


本当に元に戻るのか!?

少しずつでも回復するのか?


不安な気持ちを払拭したくて、毎日毎日写真を撮った。


…いま見返すと、特に術後3日目くらいが最高にグロいです。


目はもちろんのこと、スッピンに疲れ果てた顔の自分の顔の全体が!!


いつか誰かに見て欲しいのに

誰一人見せて〜と言ってくれないこの秘蔵写真。


ブログに載せようとも思ったけど

グロすぎるので棄却。

視力の回復と歪み

視神経の集まる、黄斑という部分にまでダメージがきたので
視力はそれなりに落ちてしまった。

主治医からは、一年くらいかけて緩徐に回復しますから、と言われてはいるので
それに期待をしつつも、
多少なりとも生活に不便は感じている。

雨の夜なんかは左側から来る人を認識しきれなかったり
段差を見逃してヒヤッとしたり。

せっかちな私も、移動にはかなり余裕をもって行動するようになった。
柔軟に、変わってしまった身体とつきあっていくしかないものね。

いまは裸眼で寝支度していて
左眼だけでみる世界は印象派の絵画みたいにうすらぼんやりして、輪郭があいまい。
それでも、先月には気づかなかった柱や扉の縦のラインの歪みがわかる。
確実に視力は戻っているんだと安堵しつつ、
歪みはやっぱりまだまだ残ってるんだなーと落胆もしたり。

ちなみに、両眼で見れば、脳がちゃんとアジャストかけてくれて
歪みは感じないのです。
人間の情報処理能力って本当に凄いなーとつくづく。