網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患した、とある開業医の独り言

もういちど会いたくて その3

思えば、私の医師人生は幸運の連続だったと思う。

人に恵まれたこと。これに尽きる。

 

決して優等生ではなかった私も

先輩方には本当にかわいがっていただいた(人徳?)←自分で言っちゃダメw

 

医療者としての礎を育む大切な修業時代、

派遣される病院で必ず

憧れの先輩、大好きな後輩、

ロールモデルにしたい素敵な先生に、それも複数出会えた。

 

長くこの仕事を続けてきた今、自分がいかに恵まれた立場であったかよくわかる。


医師だからと言って誠実で仕事熱心な人ばかりではない。

お金儲けが大好きな人もいるし

後輩の面倒なんて一切みない人もいる。

提携先などで心のこもった医療を提供できない医療人だってごまんとみてきた。

 

でも、わたしがお勤めした数か所の病院には

本当に、ただのひとりもそんな人はいなかった。

 

それが滅多にない幸運なことだったなんて、当時の私は知る由もなかったけれど。

 

よい意味で朱に交わって紅くなり

真面目で熱心な医者になれたのは

間違いなく、環境のおかげだったと今は思う。

 

A先生との幸せな時代も、やがて静かに終わりを告げた。

 

二人を引き裂いたのは、なんのことはない、医師にありがちな「異動」

 

偶然同じ時期に同じ場所で働いて

先輩と後輩であったA先生と私は

同じ時期にその病院を去り


それぞれの場所で、別々に流れはじめた私と先生の時間は

なかなか交わることはなかった。

 

いつかお会いできるだろうと思っていたA先生とは

アミスが続いてなかなか直接の対面はかなわないでいた。

同じ研究会に出席する予定だったのにどちらかが風邪でいけないとか

同じ学会に行ったのに顔をあわせることなく会期が終わるとか

神様に意地悪されているかと勘繰りたくなるほどだった。

 

そうこうしているうちにA先生は大変な出世をされて

そう簡単に手の届かないところに上り詰めてしまわれて

私は私で開業までの生活がハードすぎて人付き合いがついつい疎かになり…


一緒に働いていた頃からいつのまにか十何年が経過してしまった。

 

私がこの年になった

 

ってことは

 

先生はもう●十歳・・・!!!認めたくない!!

 

でも、

この目が見えて

この口で話ができて

自由に動き回れる今のうちに 先生にどうしてもお会いしたい・・・

 

そして私はついに、自ら先生に電話をかけたのであった。


とてもお忙しい立場でお仕事されているA先生には自由になる時間がそうそうあるはずもなく、

約束の日は2か月以上先。


思い出の中で美化されている先生はいったいどうなっているのだろう?

そしてこんなに間が空いて、会話って続くのだろうか?


そもそも今の私は先生に胸を張ってお会いできるような立派な生き方ができているんだろうか?


食事が喉を通らないくらい緊張する毎日だった。

 

おかげで2キロやせたw

 

当日も、お会いするまで手から汗がとまらず

ただただ大好きな先輩に会うだけなのに

足が震えて止まらなくなった。

こんなこと、生まれてから初めてだった。