網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患したときの覚え書き。

五万人にひとり

網膜剥離の発症率は、5000人から10000人に1人。

そのうち90パーセントが最初の手術で回復するとのこと。


…ということは。

私は物凄いレアな存在ということだ!!


と診療所のスタッフに鼻高々に伝えたら

凄〜く嫌な顔をされましたが。


なにはともあれ、しっかり回復してきているのは本当にありがたいこと。


なにせ、初回発症時は黄斑部という、視神経の集まる大事な場所まで病変が及んでいて

下手すれば(処置が遅れれば)失明する可能性もあったのだ。


診断がついてから手術を受けるまで、病院の都合やドクターの都合で数日かかるケースもあるようなので

迅速に手術に入れた自分の幸運には心から感謝をしている。


先生、本当にありがとうございます。

術後の視力回復

最初の手術の時も、二度目の時も
程度は違えど似たように推移しています。

※あくまでもわたし個人の場合。個人差が大きいですから、患者の皆様は参考程度になさってください。

【術後数日間】
視力0.01の世界。
目の前でちらちらする自分の指が弁別できないレベル。
視界の歪みはあれど、なにせ見えないので歪みに絶望しないでよいのが救い。

【2週間】
2週間もたつと、モヤモヤが少し晴れてはくるが、まだまだ霧の中。
0.03くらいかな。

【3週間】
そこから3週間目にかけてはかなりのV字回復。
歩行時に障害物確認のため必携だった杖をおっかなびっくり手放してみる。
0.08くらいのイメージ。
細かい歪みに気づくも、見えるようになった有難さのほうがはるかに上回るので問題には感じない。

【4週間】
4週目には、車の運転をしてももう大丈夫!という自信に火が灯る。

【2ヶ月】
網膜が剥離していた事実を忘れそうになるほど生活への支障なし。
徐々に歪みも気にならなくなってくる。

【3ヶ月】
そろそろ眼鏡つくりましょうかと主治医から。
精密な矯正視力の測定。

ざっくりとですが、こんな感じです。
私は元々近視が強かったので、「見えにくい」という状態がある意味デフォルトでした。
それと主治医を心から信頼していたので、
変に不安で擦り切れることなく、
免疫力も高めの状態をキープできたのかな。

そんな風に自己判断。

裂孔原性網膜剥離

網膜剥離になったよ」と話すと、大抵の人に

「えっ、殴られたの?」などと驚かれます。


しかし。

多くの網膜剥離は外傷とは無関係に起こり得ます。


私は子供の頃から強度の近視でした。

近視の眼は前後方向に眼球が変形し、

その影響で網膜が引っ張られて物理的に弱くなり

そこから穴があき剥がれてくることがあるのです。


まさに私はそのタイプの網膜剥離でした。


幸い、とても良い先生に恵まれて

かなり進行しヤバいところまで剥がれてしまった網膜も

すっかり元に戻していただけました。


…不運にも、三ヶ月後に再発して再手術の憂き目にあってしまったのですが…


人生で一番、眼科を猛勉強している。

「私の仕事は医師です。」


そう胸を張ってヒト様に話せるようになるには、かなり時間を要しました。


元々、大いなる夢や野望を抱いて目をキラキラさせて医学部に入ったわけではない私。

落ちこぼれ気味の暗黒な学生時代を過ごしました。

それでも、よき友人や先輩や恩師に恵まれてなんとかドロップアウトせずにそれなりに経験を重ねて、センセイなんて呼ばれることに面映ゆさも感じなくなってきた頃、

一大決心をして開業いたしました。


開業の前に、経営のことや人事のこと、診療報酬や不動産や内装のこと

多岐にわたり勉強しました。そりゃもう必死に。


でも、今の私、あの頃以上の必死さで、学生時代よりも熱心に、眼科を勉強しているよ。


最初の入院のときに「正しい点眼薬の差し方」を遂行できず看護師さんに失笑されたのも

今は良い思い出だ。

※上瞼には触らず、アカンベーで!



改題しました

最初は「闘病記」という言葉を使っていたのです。

が、なんかしっくり来ないのです。


手術が無事に終わった今、

日常生活の負荷を減らしながら日に数回、二種類の目薬をさす生活。

闘病という言葉のもつストイックなニュアンスが、どうもフィットしていない。


なので、回復日記にしましたよ!

そのほうが、きちんと治ってくれそうな、そんな気がして。

闘病記的な何かを書こうと思う。

この世に生まれてから三十数年。
健康だけが取り柄のような私が、今年「網膜剥離」を患い、二度の入院と手術を経験しました。

現在も再発の恐怖に打ち震えながらも、少しずつ確実に、日常を取り戻しています。

こんな時、何より欲しいのは情報!
同病の先輩方の闘病記に本当に励まされてきたので、
私もあとに続く同志のため、自分の体験を綴っていきたいと思っています。