網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患したときの覚え書き。

Rest in peace,grandpa

秋晴れの穏やかな日。

祖父がその長い生涯を終えて、天に召されました。


商売を立ち上げて一代で財をなし、

よく働きよく遊びよく飲んで、

自分で予言していたぴったりの年齢まで生きた祖父。


亡くなる前1年半は入退院を繰り返して身体も苦しかったと思う。

それでも、私が顔を見せるとニコニコ嬉しそうに出迎えてくれた。


私も医師になって十数年、

おそらく「死」というものにはそれなりに冷静に客観的な視線を持っていたし

医療者が家族に説明するときは最悪の事態を想定して厳しめに言うこともわかっていたし


でも、こんなに早いと思わなかったな。


じいちゃんは、私の中では豪放磊落で気が強くて行動力の溢れる強い人で、

甘えさせてもらったとか格別可愛がってもらったなんて認識はなかったけれど、

亡くなる直前、せん妄状態になってた時、

私の名前をたくさん、呼んでいたらしいです。


五人の孫たちの中で、事業主になったのは私ひとり。


じいちゃんの酒豪DNAは全く受け継げなかったけれど、

商人魂は少し貰っていたのかな?


旅立った日も、葬儀の日も

たまたま、本当にたまたま休診日で

ゆっくり見送ることができたし


そもそも眼がよくなっていない時期だったら遠出もできなかっただろうし


じいちゃん、何気に私のことを慮って旅立つ日を慎重に選んでくれたのか!?


なんて、勝手ながら考えた次第。


じいちゃん。

安らかにお眠りください。


そしてお空の上から、ずっとずっと私達を見守っていてください。




闘病ブログ

数年前から、仕事上の必要に迫られて

いわゆる闘病ブログを読むことが増えていました。

 

普段の診療所での仕事に加え、

企業の中に入って社員さんの健康管理を行う、

産業医としての仕事を並行して行うようになったからです。

 

臨床医として、

患者さんが病気によって受けるハンディキャップのこと、

それを克服するためのケアの仕方、

そういうものは一通りもちろん知識として頭に入ってはいたけれど

 

専門分野以外の病気については、

正直学生さんレベルの知識に毛の生えた程度のものしかもっていない。

 

たとえば、

 

お薬の副作用でこんなに苦しむ人がいる、

でもこんな風に対策を講じている

 

慢性疾患と向き合う人たちが

日常生活でこれだけの制約を受けている

 

治療法の確立されていない疾患の患者さんが

これだけ新薬を心待ちにしている

 

そういう、診察の場面で扱いきれないナマの声、心の叫びを知りたかったのです。

医療機関で接する「患者さん」とお話するときと違って、

産業医の仕事でお話をしなくてはいけない「社員さん」に対しては

病気の治療の話だけしていればよいというわけではなく、

人間としての営みの部分、生活や業務に及ぼす影響を熟知していないと

まともな面談が成り立たない。

 

こうして、

がん闘病ブログや

もちろん網膜剥離の闘病ブログ

糖尿病、膠原病などの闘病ブログ などなど

たくさんのブログを巡回し、

患者さんの思い、願いをできるだけ知ることで

的確なアドバイスにつなげていこう、そんな思いがありました。

 

まさか、数年後に自分が「病の当事者」として闘病ブログを読み漁ったり

こうして自ら発信する立場になろうとは、思いもしなかったのですが・・・。

 

私がだらだらと垂れ流している駄文が、

なんらかの形で、いつか誰かの役に立つといいな。

 

少しずつ取り戻す日常

何ヶ月ぶりかに、ハイヒールを履いて街に出た。


メガネをしていない自分の顔をまじまじと眺めるのも久しぶりのこと。

アイメイクしたのも何週間ぶりだろう。


なにせ視力の落ちている間は、段差やひとの流れがこわくて

転倒→外傷→再剥離の間抜けなカスケードに陥らないためにも

外出時は、デイパックに杖が必携、靴だってスニーカーか、よくてペタンコのパンプス。


もともとお洒落がすきなほうではないけれど、

さすがに女性としてこれがデフォルトになるのは辛すぎる。

まだ若いのにー(いや、そうでもないけど)

私にはもうスカート履くこともお着物着ることも許されないのか!!


そんな風に、ぐるぐると悲観的思考を巡らせていた日々が懐かしい。


人間の回復力って、ホントに凄い。

今は、極端に疲労困憊しているときや雨の夜以外は、杖はいらなくなった。

デイパックではない普通のかばんを肩にひっかけて、軽快にスタスタと…いや、ドタドタと歩けている。


ちなみに、今日の私が気合いいれて出かけた先は、時計屋さん。


研修医の頃、仕事が辛くて辛くて辛くて辛くて本当に辛くて倒れそうだったころ、

判断力鈍ったアタマで衝動買いした某スイス時計。

オーバーホールをお願いしにいったのです。


今の零細開業医である私めには、数万円のメンテナンス費用は正直分不相応なのだけれど、

病める時も健やかなる時もずっと私の傍にいてくれた大事な相棒なので、やっぱり無理をしてでも労ってあげたいのです。

私が死んだら柩に入れて欲しいくらいな時計だもの。


デザインがツボすぎて、相当無理して買ったのだけれど、

あれから10年以上たっても未だこの子を超えるお気に入りの腕時計には出会えていないので、

買ってよかったなーと。


そんな大事な相棒を送り出すので(オーバーホールは1カ月以上かかる)、

しゃんとした装いでいかなくては。

(それに、変な格好だと時計屋さんにも失礼だしね)


半分見栄もあるけれど、

こうやって見栄をはれるくらいに元気になったことに感謝。


サザエさん

秋も深まりつつある今日この頃。

日の落ちるのも早くなり、帰り道にはジャケットの襟を立てたく…あれ…ジャケット着てくるの忘れたな今日。


もともと、脳に異常があるんじゃないかと思うくらい忘れ物なくし物の名人でしたが

片眼の視力がガクンと低下している今、

不注意に拍車がかかっている気がするよ。


ふーやれやれ


冷や汗拭こうとカバンをあけたら、そこには何故かパスポートと海外通貨入りの財布が鎮座しておわす。←多分間違ってるなこの使い方


今日も愉快な一日になりそうだ!

戻れるものなら

今週のお題「行ってみたい時代」

それはもう、迷いもなく一択で、

網膜剥離の発症前に戻りたいです。

 

命をとられるわけではない、

適切な処置さえすれば視力を失うことは無い。

 

病気自体は、現代の医学をもってすれば「治療可能」な部類に入るもの。

よい先生、よい病院にも恵まれた。

 

だから、病気自体は怖くはない。

 

今の自分にとって一番しんどいのは、

数か月先、数年先の予定を躊躇なくたてるということができないこと。

 

「再発しているかもしれない」

「入院しているかもしれない」

 

と思うと、スケジュール帳に予定を書き込む手がほんの少し止まってしまうのだ。

 

でも、これは、裏を返せば

「明日がくる」

「未来がある」

ってことへの感謝にもつながること。

 

それに気づかせていただいたことは、本当に幸せなことだと思っている。

 

病気をしてから、

仕事においても人間関係においても、

あまり遠慮や我慢をしなくなったように思う。

 

手放したいものはガンガン手放す。

嫌なものは嫌だと言ってみる。

 

昔はできなかったこと。

 

・・・この気持ちをもったまま、発症前に戻りたいなーとか。そんな気持ち。

揺れる想い

手術後、2ヶ月ほどで感染予防の点眼薬も卒業。


治療としては一段落している時期。


こういう時に緊張が緩むのか、白昼夢を見たり、夜中に病気の夢で飛び起きたりする。


能天気な性格だし、「悩んでも解決につながらないことは悩まない」と決めているし、

病気のこともこれは自分の運命だったのだと受け入れているつもりだったけれど。


3度目の手術を受ける夢もたまに見るし、

一番多いのは、

「ごめんねー、網膜剥離で入院したとか、あれ、エイプリルフールの嘘だから」とかカミングアウトして

友達にボコボコにされたり

親に泣かれたり

スタッフにあきれられたり

…そんな夢。



目の愛護デー

10月10日は、眼の愛護デー。

知識としては子供の頃からずっと知ってはいたけれど、

今年ほど真摯な気持ちでこの日を迎えたことはなかったと思う。

もっと真剣に眼のことを愛し護ることを考えた生活をしていたら

こんなことにはならなかったのだろうか、と時々後悔の念に苛まれる。


手術をした左眼の眼球周囲には、全周性にシリコンのバンドがガチッと縫い付けられている。

私のいわば命綱、二度と網膜が剥がれおちないように支えてくれている大事なパーツ。


しかし、寝不足や疲労がたまると、普段は全く自覚することのない、そこはかとない異物感が左眼にあらわれる。

痛くもかゆくも不快でもないのだけれど。


私の身体は、昨年のそれとは違うんだなという事実を

このかすかな感触が教えてくれ、

もう無茶はするんじゃないぞとブレーキをかけてくれる。


今の自分には必要なオプション。

ほんの少しありがたく、でも、ほんの少し、寂しくもある。