網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患したときの覚え書き。

戻れるものなら

今週のお題「行ってみたい時代」

それはもう、迷いもなく一択で、

網膜剥離の発症前に戻りたいです。

 

命をとられるわけではない、

適切な処置さえすれば視力を失うことは無い。

 

病気自体は、現代の医学をもってすれば「治療可能」な部類に入るもの。

よい先生、よい病院にも恵まれた。

 

だから、病気自体は怖くはない。

 

今の自分にとって一番しんどいのは、

数か月先、数年先の予定を躊躇なくたてるということができないこと。

 

「再発しているかもしれない」

「入院しているかもしれない」

 

と思うと、スケジュール帳に予定を書き込む手がほんの少し止まってしまうのだ。

 

でも、これは、裏を返せば

「明日がくる」

「未来がある」

ってことへの感謝にもつながること。

 

それに気づかせていただいたことは、本当に幸せなことだと思っている。

 

病気をしてから、

仕事においても人間関係においても、

あまり遠慮や我慢をしなくなったように思う。

 

手放したいものはガンガン手放す。

嫌なものは嫌だと言ってみる。

 

昔はできなかったこと。

 

・・・この気持ちをもったまま、発症前に戻りたいなーとか。そんな気持ち。

揺れる想い

手術後、2ヶ月ほどで感染予防の点眼薬も卒業。


治療としては一段落している時期。


こういう時に緊張が緩むのか、白昼夢を見たり、夜中に病気の夢で飛び起きたりする。


能天気な性格だし、「悩んでも解決につながらないことは悩まない」と決めているし、

病気のこともこれは自分の運命だったのだと受け入れているつもりだったけれど。


3度目の手術を受ける夢もたまに見るし、

一番多いのは、

「ごめんねー、網膜剥離で入院したとか、あれ、エイプリルフールの嘘だから」とかカミングアウトして

友達にボコボコにされたり

親に泣かれたり

スタッフにあきれられたり

…そんな夢。



目の愛護デー

10月10日は、眼の愛護デー。

知識としては子供の頃からずっと知ってはいたけれど、

今年ほど真摯な気持ちでこの日を迎えたことはなかったと思う。

もっと真剣に眼のことを愛し護ることを考えた生活をしていたら

こんなことにはならなかったのだろうか、と時々後悔の念に苛まれる。


手術をした左眼の眼球周囲には、全周性にシリコンのバンドがガチッと縫い付けられている。

私のいわば命綱、二度と網膜が剥がれおちないように支えてくれている大事なパーツ。


しかし、寝不足や疲労がたまると、普段は全く自覚することのない、そこはかとない異物感が左眼にあらわれる。

痛くもかゆくも不快でもないのだけれど。


私の身体は、昨年のそれとは違うんだなという事実を

このかすかな感触が教えてくれ、

もう無茶はするんじゃないぞとブレーキをかけてくれる。


今の自分には必要なオプション。

ほんの少しありがたく、でも、ほんの少し、寂しくもある。




作戦会議その三

そんなにダラダラ引っ張るつもりもなかったのに、まとまらないお話…

(私の日常を象徴している!?)

 

主治医への感謝の気持ちのお品についての友人達との検討の結果。

 

1.あからさまに「贈り物」とわかるものは避ける(昨今の医療従事者貰い物受け取るのヨクナイネーの風潮に配慮)。

 

2.好き嫌いがあるので、手元に長く置くような品は避ける。

 

3.食べ物は、これまた好き嫌いあるから難しく、避けるが無難。

 

4.現金は味気ないが、デパート商品券とかはかさばって持ち歩きに不便なので避ける。

 

→図書カードか、コンビニで使えるプリペイドカードが良かろう。

 

そして

 

5.渡すときは去り際にさりげなく、「お手紙書いたので良かったら読んでください」と小さめサイズで小綺麗な封筒に入れる。

 

これで行くつもり。

 

さて、ミッション完了なるか!?

 

…次からはちゃんと病気ブログに戻ります(多分)。

 

 

作戦会議その二

もはや、網膜剥離の治療とは全く関係のないサイドストーリー(?)ですが。


敬愛する主治医に、診察時の「ありがとうございました」という言葉以外の手段でも

感謝を伝えたいなあと。


同業の友人たちとの飲み会で、あーだこーだと意見を言いあいました。

(キモイと言い放ちつつもちゃんと相談に乗ってはくれる、よき友人たち)


最近は謝礼拒否を明示している医療機関も少なくないし、

先生によっては患者からの謝礼を固辞するポリシーの方もいると聞く。


私個人に限って言えば、

謝礼があろうとなかろうと目の前の仕事には全力で取り組みます。

いや、本当に。


でも、

あまりに高価なものや処理に困るものでなければ

患者さんが診察時以外にも私のことを思ってくれたという事実が素直に嬉しいので

御持参いただいたものはありがたく頂戴するかなー。

そして、少しあとに、クリスマスとかバレンタインとか言い訳をつけてきちんとお返しもします。

(保険診療上は厳密にはアウトかな…)


しかし、病院勤めのときは現金や商品券いただくことが多かったのに

開業医になってからは9割方お菓子。


みんな、私のことそんな食いしん坊に見えるのねー


大当たりですけど!


また話が逸れたので、続きは次回



作戦会議その一

主治医のことを尊敬している。

先生に出会えたのは、本当に全くの偶然
緊急入院、緊急手術から始まった治療なので、吟味している余裕なんて、一切、なかったから。

たまたま運ばれた病院で、たまたまその日の担当だった、ただそれだけのご縁。
でも今や私の人生を左右する最重要人物の一人。

先生は言葉遣いも所作も穏やかで丁寧だし、
説明は過不足なくわかりやすくて的確だし、
検査や処置のときに目の周りを触れるときも、痛さや不快感を感じることが皆無(これ大事!)。

先日、同業の友人たちと飲んだ際に
私がいかに主治医を敬愛しているのか熱弁をふるい、
「あー、先生のことが好きで好きでたまらない!一度大好きだと伝えたい、でもそれで気まずくなるのがいやなの」と
気持ち悪い悩みを吐露したところ、
「キモイ」
「ヤバイ」
「暑苦しい」
「重い」
などと想像以上に気持ち悪がられて、ああ、正直でよい人たちだなーと思いました。

とはいえ、一度感謝の気持ちは何かの形でお伝えしたいとは思っていたので、
その後プチ作戦会議に入ります。

長くなったので、次回に続く。




僕の好きな先生

医師なので、仕事中は「先生」「先生」と言われている私です。


医師同士は二人称は「先生」と呼び合うことが多いです。

これって凄く便利な呼称だと思う。


年上だろうと年下だろうと、

仲良しだろうと初対面だろうと、

とりあえず相手が同業者なら「先生」と呼んどけば失礼はないだろう、的な。


でもねでもね。

私の主治医は、

私を診察する時も、オペ前に声をかけてくださる時も、

私を「先生」と呼ぶんですよ〜


「はい先生、上見て〜 左上見て〜左〜」

…あれ?あれ?

いくら便利だからって応用し過ぎでは??