網膜剥離からの回復日記

40歳目前にして網膜剥離に罹患したときの覚え書き。

開業医はつらいよ

年末なので、診察室に蓄積した書類の整理整頓に励んでいたら

入院中に使っていたノートが出てきた。


連絡調整をしたり、患者さんに電話で病状確認したり、書類をかいたりと

入院患者なのに、はたらき過ぎ…


忘れていた古傷が、ちくりちくりと痛む。


よくも悪くも、かわりのきかない私の仕事。

オペ室入る直前まで働いてたし

翌日からも休む間なんてなくて


ゆっくりと「病む」こともできなかった。


それは落ち込まなくて済むという意味では幸運だったのかもしれないけれど

いったい私はいつまで走り続けなくてはいけないのか?と怖くなったのもまた事実で。


これから先の働き方を、また見つめなおさなくては…とも感じている。



先生、ありがとう

青天の霹靂とは、まさにこのこと。

先日の定期健診で主治医の口からまさかの爆弾発言。


「ぼく、転勤することになりました。」


!!!!!

きたー!

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!


↑いや、真面目にこの顔文字が頭の中にスクロールしましたわ。


しかし、全く予想もしていないタイミングだったのでアホの子みたいに口あけてぽかーんとたたずむしかなかった私。


人間、驚きすぎるとリアクションとれなくなるものだね。


その場では「あら、そうなんですね」と淡々と振舞って

努めて事務的に次の予約とってもらったりしたけれど


病院を出た途端、涙涙涙。

こんなに泣けるもんかと思うくらい。


私がどんなに不安な気持ちに負けそうになっても耐えてこられたのは

再発してもきっと先生が治してくれると信じていられたから。


医師の世界の宿命は私もわかっちゃいるけど


あまりにも突然すぎるよ先生…


もう暫く、感傷に浸りながらキモイ感謝の手紙を書こうと思う。







経過写真を見て欲しいのに

手術のあと完全にお岩さんだった患側の上まぶたも

今ではすっかり元通り。


あんなに腫れてたのに!!


すごいな人間の治癒力。


手術当日より寧ろ

翌日とか翌々日にどんどん腫れてきて

しまいには切開した結膜が治癒の過程で思いの外増殖して

黒目のふちを覆って瞳の形はいびつになるし


本当に元に戻るのか!?

少しずつでも回復するのか?


不安な気持ちを払拭したくて、毎日毎日写真を撮った。


…いま見返すと、特に術後3日目くらいが最高にグロいです。


目はもちろんのこと、スッピンに疲れ果てた顔の自分の顔の全体が!!


いつか誰かに見て欲しいのに

誰一人見せて〜と言ってくれないこの秘蔵写真。


ブログに載せようとも思ったけど

グロすぎるので棄却。

視力の回復と歪み

視神経の集まる、黄斑という部分にまでダメージがきたので
視力はそれなりに落ちてしまった。

主治医からは、一年くらいかけて緩徐に回復しますから、と言われてはいるので
それに期待をしつつも、
多少なりとも生活に不便は感じている。

雨の夜なんかは左側から来る人を認識しきれなかったり
段差を見逃してヒヤッとしたり。

せっかちな私も、移動にはかなり余裕をもって行動するようになった。
柔軟に、変わってしまった身体とつきあっていくしかないものね。

いまは裸眼で寝支度していて
左眼だけでみる世界は印象派の絵画みたいにうすらぼんやりして、輪郭があいまい。
それでも、先月には気づかなかった柱や扉の縦のラインの歪みがわかる。
確実に視力は戻っているんだと安堵しつつ、
歪みはやっぱりまだまだ残ってるんだなーと落胆もしたり。

ちなみに、両眼で見れば、脳がちゃんとアジャストかけてくれて
歪みは感じないのです。
人間の情報処理能力って本当に凄いなーとつくづく。






都内での飲食

むかし暮らしていた町で仲の良かった友人からメール。

仕事で上京するのでよかったらごはんでもご一緒しませんか、
お勧めのお店に連れていってくださいよーと。
 
あー、こういうときに人を欺いてる気分になる。
向こうは、わたしが都内各所の美味しいお店を食べ慣れていること前提で色々尋ねてくるけど
 
わたし、お料理大好きだから
殆ど外食しないのですわ。
 
で、どうせ外で食べるなら絶対自分で作れなさそうなもの、となると
エジプト料理とかミャンマー料理とかだしなー
 
ごめんよコヤマくん(仮名)、
君の期待するようなきらびやかなお店にはお連れできそうにないですよ。
 
今日も必死に食べログでお店の検索・・・。
 
 
 
 
 
 

たまには毒

今日はお仕事でとても残念なことがありました。

ひとことで言うと、治療の説得の失敗。


患者さんのためを思って、一生懸命仕事しているつもりだけれども

どんなに頑張っても、誠意が伝わらないことってあるんだなー。


いまの治療はベストじゃない、違うアプローチが必要だと繰り返し伝えているのに

受け入れようとしてくれない患者さん。


私も、「患者」の立場を嫌という程味わっているから

あなたの気持ちは、わからなくはない。


自分の病気を認めることや

それによって失うもの

直視するのはやっぱり、めちゃくちゃ怖いです。


でも、受け入れなくてはそこから先に進まない。


絶対に受け入れてほしくて

手遅れになってほしくなくて

病状が深刻なんだってことを強く伝えすぎたら

患者さんに怒られてしまった。


もどかしさを感じた。

現実に向き合えない患者さんにも、

最適な治療にうまく導けない自分にも。

まだまだまだ、日々修行です。


弱音吐いてるようだけど弱ってはおりませぬ。

筋書き通りに行かないのは臨床の難しさだけど面白さでもあるからね。




亀田大毅選手、網膜剥離で引退

お題「ブログ名・ハンドル名の由来」

これはもう、そのまんま。

網膜剥離になった自分と向き合うためのブログなので

その旨タイトルにしました。

(最初は「網膜剥離闘病記」でしたが、なんかニュアンス違うなーと思って

 ほどなく改題したという経緯がございます。)

ハンドル名も、「網膜剥離の英語名+発病年」です。

 

いやー、なんのひねりもないのですが、

このハンドルって呼びかけにくいですよね。綴りおぼえにくいし。

「網膜はげ子」はどうだろうと家族に伝えたところ

全力で阻止されました・・・。

もう少しよき名前を思いついたあかつきには、華麗に改名いたします。

 

さてさて。

先ほどからニュースをにぎわしている、亀田大毅選手の引退のニュース。

あ、私と同じ病気!!と、いきなり沸き起こる親近感。

 

引退の理由、「網膜剥離で視力が0.1まで戻らなかったから」と書いてある。

おなじ病を患った身として、頷ける部分もあれば、そうでもない部分もある。

 

視力云々よりも、きっと亀田選手は

闘う気持ち、前に進んでいく気持ちが

病気をきっかけにポッキリ折れてしまったんだろうと(勝手に)思っている。

 

私はボクサーほどの強靭な肉体を求められるわけではなく

スポーツ選手みたいに戦闘態勢を保ち続ける必要もないけれども、

「日々プロフェッショナルとしてそこに居続ける」ことが求められる立場ではある。

病気になると、平穏な日常が奪われる。

ただただ居続けるってこと、ただそれさえも、しんどくなることもある。

 

発症してから数か月の間は「もう診療所閉めようかな」っていう思いが

毎日毎日頭の片隅から離れなかった。

自分の健康もあやういときに、人様のケアをいままでと同じ気持ちでは

正直、できなかったから。

あの時期、仕事の質はかなり落ちていたと思うし、

そんな自分にまた落ち込んだりもしていたなー。

 

私は幸い、色々な偶然も幸運も重なって

今は「また前に進んでいこう」と思えているのですが。

 

願わくば、再再発のおこらないように。

そして再生医療が進んで、失った光、弱くなった光も取り戻せるようになることを。